
《すみえの基本情報》
・出身地…栃木県足利市
・身長…153cm(意外と小さいと言われます)
・これまで住んだところ…東京都品川区、新宿区、静岡県熱海市、神奈川県川崎市
・趣味・特技…絵を描くこと、漫画(腐女子なんです)、お料理、ベリーダンス、ヨガ、太極拳、お笑い鑑賞、ヒーリング全般、チャネリング
・好き…神仏や天使。目に見えない存在。神社仏閣巡りや仏像鑑賞
・座右の銘…人間万事塞翁が馬
私は栃木県足利市、機屋を営む家の長女として生まれました。
本来の私は、面白いことが大好きで、人を笑わせること楽しませることが大好き。
変顔をしたり、自作の演劇(コメディ)を勝手に演じたり
文章や絵を描くことが幼少期から好きでしたが
創作時も人に楽しんでもらいたい思いが強くありました。
その、ピュアなエンターティナーのまま大人になれれば良かったのですが…
生まれた家が、少々バイオレンスファミリーだったので
虐待を受けて育つうちに、ピーターパンのような本質は歪んでいってしまいました。
人とのコミュニケーションには暴力や暴言を使うのだとインプットされ、
違和感がありながらも、そういう風に振る舞ってしまいます。
初っ端から爆弾投下ゴメンナサイ…
そんな私ですが、二十歳を過ぎ、妹が進学のため上京したのを見て、
「そうだ、私も家を出れば良いんだ!」と、気付きます。
そしてアルバイトを掛け持ちして短期間でお金を貯めて家を出て、
最初は神奈川県川崎市は溝ノ口に住みました。
当時は芸能事務所に所属していたため、渋谷のアルバイト先と、表参道の事務所へ通う毎日。
初めての一人暮らし。しかも東京。
初めて見る種類の人間たち。仕事。
友人もすぐにできて、不思議なご縁も広がって人脈ができ、とってもエキサイティングで楽しい毎日でした。
このとき、とても印象的だったことは、「笑顔が作れなかった」こと。
育った環境が笑っていられる状況ではなかったため、大人になってからも表情筋が動かないのです。
芸能事務所では《宣材写真》を撮影しますが、
笑って〜!と言われて満面の笑みをしたつもりの写真を見ると、真顔だったんです。全部。
あの衝撃、忘れられません。
真面目な私はその日から、暇さえあればお笑いライブに通いつめ、
お笑いのテレビやDVDを見まくって、笑う練習を夜な夜な必死でしました。
いまでも、お笑いは大好きです。
さて、所属していた芸能事務所が閉鎖されることとなり、
25歳だった私は他の事務所に行くことも考えず、フリーターとなります。
いろんな種類のアルバイトをしましたが、落ち着いたのは、
外苑前のカフェでアルバイトをしながら、アーティスト活動をすること。
絵や立体、写真や言葉など、アート全般の創作を、
知り合った仲間たち(日本画の画家、音を創る人、ダンサーなど)と表現し、
ときたまグループ展をしました。
この頃、フラメンコを習い始め、その後5年近く続けます。
住まいも品川区の武蔵小山になりました。
上京してすぐに仲良くなった友人がスピリチュアルな話に詳しくて、
タロットをしてもらったり、エネルギーの話を聴いたり
それをきっかけに、心のことや精神のことに関心を持ちました。
でもまだ、このときの私は、自分の傷やトラウマ、生き辛さには全然気付いていません。
そして、アートセラピーやエニアグラムを長く学びました。
29歳のとき、お付き合い中の恋人が亡くなりました。彼は31歳でした。
肺腺癌という病気です。
なかなか衝撃の出来事でした。
その後、自分が完全に立ち直ったと実感できるまでに、8年かかりました。
でも当時から感じていたことは、ひとつの肉体がゆっくりとこの世を去っていく。
その物質の変化、精神の変化……
ある意味で神聖なものを見せてもらったなぁと。
どこか遠い目で、そう見ていた景色があり。
彼にも彼のご家族にもとても感謝しています。
ここで男性関係の話をすると…
思春期の頃からズタボロで…この記事は夫も目にしますので、あまり詳細を述べるのは避けますが…笑
人間関係の築き方が分からなかった私は、
特に恋愛関係となるとかなり親密なものになるので、歪んだ自我をぶつけ、
訳がわからぬまま傷付け合う関係をたくさん経験しました。
31歳のとき、『人の人生に深く関わる仕事をしたい』と思い、葬儀屋さんと迷ってブライダルの仕事に転職します。
(その前は秘書や受付や販売員を転々としました)
家は新宿区の四谷に引っ越しました。
ドレスやタキシードのスタイリスト職に、5年半携わります。
とっても楽しい仕事でした。
華やかな現場はいつも活気に満ち、人の人生の幸せな側面に触れていられることは、とてもやり甲斐がありました。
が。
「何かが違うな〜」と、強く、これまで以上に強く、思い始めます。
お客さまとの時間は確かに楽しいし、婚礼衣裳も美しく見ていて心ときめく。
でも、会社員である以上、数字を追わねばならない圧があるし、上司との関係、後輩との関係、体力の問題…
いろいろと限界を感じてきます。
生き辛いんだな、でもなんで生き辛いんだろう?
ということにも、ようやっと気付いてきました。
人の命とか、死とか。
悲しみとか苦しみ、痛みとか弱さ。
絶望。
そういうものからの救いを、私は伝えたい。
希望。
どんな人生にでも、必ず希望があること。そういうことを、伝えていきたい。
と、強く思ったんです。(今思えば、これがセルフイニシエーションでした)
それで、出家することにしました。
実は幼稚園が仏教系だったからか、お釈迦さまが大好きで
小学校に上がる頃には、「そのうち尼になって仏に仕えたい。どうすれば良いのか?」
と母に質問して困らせる、という子どもでした。
私にとっては自然な発想でもあったのです。
会社を辞める手配をし大好きで何度も訪れていた高野山にて、準備を整え。
あとは退職の日を待って、私の身体が移動するだけというタイミングになって、強く揺さぶりが起こります。
もう決心は揺らぐまいと思っていたのに、私の心がグラグラと揺れました。
動揺した私がある日のネットサーフィンで見つけたキーワード。
それが『アデプトプログラム®︎』
です。
「あ、これを受けよう」と、本能で察知したので、すぐに受けることにしました。
私は、出家した暁には、
・人生は、何故にこんなに苦しいのか?
・辛く苦しい思いをしながらも、何故に人は生きなければならないのか?
ということを解き明かし、生き辛い人々のお役に立とう!
と思っていたのですが。
アデプトプログラム®︎で、その答えが分かってしまったんです!
それで、もう出家する理由がなくなってしまったので娑婆に残ることにしました。
また、アデプトプログラム®︎の翌日に、ふと、
『絵描きになって、目に見えない存在のお姿を形にする』
『エネルギーアートで大きな曼荼羅を描く』
というインスピレーションが湧き、まさに心の中心から湧き上がり、感動で涙が溢れました。
その直感を信じ、画家に転身したのでした。
その後は不思議なことに、縁もゆかりもない熱海に引っ越し(そこでも大切な学びや出会いがたくさんありました)
半年程度で実家が爆発して呼び戻され、今に至ります。
正直なところ、アデプトプログラム®︎を受けた後も生き辛さがすぐに解消されたわけではありません。
アデプトプログラム®︎は初めの一歩です。
自分の人生を喜びで満たしたい!人の人生にも喜びをもたらしたい!
という《セルフイニシエーション》ができた人が、受けることが叶います。
当たり前ですが、これまで何十年の積もり積もったものを
一瞬ですべて解決できるわけではないのです。
それができるなんて言ったら宗教と同じなのです。
アデプトプログラム®︎を開催しているモダンミステリースクールには、たくさんの形而上学のセミナーがあります。
私は、
・ユニバーサルカバラ
・ヒーラーズアカデミー1,2
・エンソフィックレイヒーリングモダリティ
・リチュアルマスタープログラム1,2,2.5
と進んでいって、
トラウマを手放す『親教』や『マインドリージョン』などを経て、
やっと、自身の生き辛さのカラクリが解け、手放すことができ
生きることの視点を変えることができ、喜びの道に真っしぐら!
という状態に、なれました。
・何故、人は苦しむのか?
・この世界、社会はどんな仕組みでこうなっているのか?
・私って何なのか?
・真の喜びってどういうことだろう?
・宇宙から見た地球の所在地って?
真実は、いつも、ひとつ。
宇宙の真実を知り、理解して、行動して、現実に変化を起こしていく。
地道に思えるかもしれませんが、人間レベルの認識を超えた力が働くので
これまでの何百倍もスケールが大きい人生となります。
本来の自分は、それをやりに地球に来たんです。
私が本当の人生を取り戻したことをきっかけに、
魔の巣窟だった実家に光が灯り
家族がみんな笑顔で暮らせるようになり
私は理想のパートナーと結婚して
ライフワークであるライトワークに専念できる。
こんなミラクルって、本物の教えじゃないと起こらないのです。
そんな人生を生きてきました。
見た目では何の苦労もしてなさそうに見えるようで、ギャップがえげつないと、言われます。
泥沼から顔を出して咲く蓮のようだと言われたこともあります。
悪に塗れ、弱さに負け続け、それでも必死でもがいて這い上がってきましたので、
生きることに苦しんでいる人がいれば、寄り添って、光が見えるところまで連れて行きたい。
その信念で、活動しています。
いつでも、安心してお話ししていただける場所をご用意しています。
書けなかったこともたくさんあります。
必要であれば私の体験なども交え、
あなたが人生の荒波を乗り越える方法をお話しさせていただきます。
あなたの本当の、喜びに満ちた人生のために。
まだお会いしていないあなたにも、お会いできることを心より楽しみにしています。
長い文章をお読みくださり、ありがとうございました。
